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「さとやま」ってなに?

私たちが再生を目指す「里山」についてご説明いたします。

さとやまの意味と歴史

うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川
夢はいまもめぐりて 忘れがたき ふるさと 


台峯から見た六国見山(2014年)

里山は原生林ではない

里山は原生林のような手つかずの自然ではありません。台峯も六国見山も鎌倉を代表する里山です。人々が生活のために利用してきた森林です。もともと原生林だったところに燃料(薪や炭)や肥料(堆肥の材料となる落葉)に活用できるコナラやクヌギなど、生活に必要な落葉広葉樹に植え替えました。適切な下刈りや周期的な伐採が行われた里山の周辺には、人間によって田んぼや畑、用水地が作られ、そこに昆虫や小動物が生息し、人間と共生した豊かな生態系が形成されました。冒頭の文部省唱歌「ふるさと」のような世界を連想してもらうといいでしょう。


台峯から見た六国見山(1960年当時)

 鎌倉の里山の歴史は今から2000年前の弥生時代から始まります。
「弥生時代(約二千年前)になると海面が下降して海退現象が始まり、海水が引いたあとは湿地帯となっていた。弥生中期頃になると中国大陸で発達した水稲耕作と金属を持つ新しい文化が鎌倉地方にも伝わり、土器が使用されるようになった。やがて湿地帯が陸に変わり、水稲耕作に適した谷や低地のある日当たりの良い丘陵が新しい生活の場として選ばれたものと思われる」
(「大船の歴史」北鎌倉台土地区画整理組合より)


スギノキが根こそぎ倒れフェンス直撃2013・1

 しかし、昭和30年代以降の燃料革命(木炭から石油、ガス、電気へのシフト)や、農業革命(有機肥料から化学肥料へのシフト)により、里山はその役割を喪失し、手入れが放棄されてしまい、里山の荒廃(土地の言葉でボサッコ)が進んでいます。
現状のまま、里山の荒廃を進行させれば、植生の変化によって多様な生態系が失われてしまうだけでなく、貴重な里山の文化も消滅してしまい、さらには土砂崩れや土石流の発生なども予測されます。生物の多様性の確保、文化の継承、生命や財産を守るために里山の手入れが必要です。

六国見山に見る里山の今昔

段々畑と雑木林、一部針葉樹で構成されていた六国見山は、1965年、所有者が「北鎌倉台土地区画整理組合発起人会」を設立したことで、六国見山は大きな変貌を遂げました。区画整理事業の完成は2003年。この事業により六国見山に約350世帯が住む高野台住宅と六国見山森林公園が誕生し、人と里山の新たな関係がスタートしました。


姿現した日当たり抜群の段々畑(2013・12)

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